オカエ・ザ・超雑記帳

徒然趣味主義主張

爽やか

承認欲求とブログ

自意識に存在する承認欲求に気付き、そしてそいつを満たす為にブログを始めたのだと僕は誰かに言った記憶がある。

 

今回はそんな当初の目標「承認欲求を満たすこと」について当ブログは貢献できているか?を話していきたいところ。

結論

から言うと、開設当初は満たされていたが現在承認欲求は満たされていない。もういきなり結論から行くとかセオリー過ぎてなんの面白味もない文章だ。とにかく最近の自分の文章だけど、書けば書くほど面白味が無くなっていっている気がして辟易している。今日の文章も駄目だ、固い、フランスパンか何かか。

自分の文章が駄目だ、と感じている限りはいくらネット上に自己を発散して、たまにリアル友人からブログ見とるやで宣言をされたところで「へへ」と自分をあざ笑ってしまう。

自分を認めていない人間が他人に認められたとしても勘ぐって卑下するだけで、そこに承認の充足は存在するはずがない。

何故最近の文章が駄目なのか?この駄目を取り払い自分の納得する文章を取戻しさえすれば自己承認の荒波に揉まれ気持ちよくなれるのではないか?という論理は正しいはず。

そして昨今のブログを見返せば駄目の答えは明白である。

批評しかしていないのだ。そんなものはただの消費者的行動であり、消費者的側面の自己を発散しているブログなんてのは何のアウトプットもなさない無効空間である。

承認欲求の満たされなさから何故か自分のブログ批判に変わったがまあいいやノッてきた。このまま文章を続けよう、そしてこれまでの自分のブログを断罪しよう。

 

inmoress.hatenablog.com

 こんなものは過去の自分を消費しているだけだ!ビリビリー(ブログ記事を破り千切る音)。

 

inmoress.hatenablog.com

 こんなものはなあ!辻希美氏にでもやらせておけばいいんだよ!ビリビリー(ブログ記事を破り千切る音)。

 

inmoress.hatenablog.com

こんなものは魚とって食ってるだけのコンシューマーブログだ、トマトとか言ってないでせめて素揚げだろ、素揚げは字面が良いからな!ビリビリ―(ブログ記事を破り千切る音)。

 

 

とまあこんな感じで全ての処すべき過去のブログ記事を断罪させていただきましたとさ。清々しい。

 

オギャ欲求の話

もはやである、ブログという外部記憶を利用して自己の承認欲求を俯瞰で認識した僕にとって、誰かに認めてほしいという感情を持つことは既に小恥ずかしい事でもあり、これからの人生そして当ブログは自己肯定へ向かっていきたいと思うばかりである。そしてこのまとめの内容はマズローの話に影響を受けている。

 

ところで一昔前に流行したバブみとかオギャるという言葉をご存じだろうか?知っていればそれでいいし知らないのであればそれはそれでいい。

承認欲求がどうのこうの能書きを垂れて、過去のブログという名の心の装甲を引き剥がして剥いた卵のようにツルツルな表面に現れた今僕が直面している感情。それがオギャりたい気持ちである。

意味のある日本語を発せずとも、生産性が極めて0あるいは負だったとしても、ただ自分の思うがままに精神活動を行える赤子。そしてそのすべてを抱擁する母こそ、人類の到達すべき究極系ではないだろうか?

どんな欲求が充足したとして、母性の尊さには到底あらがえない。

 

成人男性が生きるにはこの世はつらすぎたのだ。