オカエ・ザ・超雑記帳

徒然趣味主義主張

爽やか

年末年始

あけましておめでとうございます。

年末

28日に仕事が納まってそのまま高田馬場の雀荘へ行ってきた。今年の年末もこれだ、一年の締めは麻雀に限る、ほとんどの参加者が今年最初で最後の麻雀に興じているわけだが、多分皆そこまで麻雀が好きというものでもないのだろう、ただ様式美としての年一の麻雀がそこにあり、誰しもがなすがまま様式美に身を委ねている。

紫煙に蝕まれる体とコートとスーツ、そして脳細胞の死にゆく音を横目に点棒と言う名の日本円の取り合いをする、12時間の煉獄である。

雑居ビル、夜半には茨城で震度6、ボロい雑居ビルは幸い高田馬場にあり、倒壊せずに済む。気を取り直しサザンのBGMに身を預けながらアガる、とにかく冴えわたり放銃は12時間とおして3度のみだった。

煉獄を越え下界へ帰還すると清々しい朝日が昇っている、7時だ。充分肥えた財布を手に浦安へ帰り、約4時間の惰眠を貪るのだった。

 

下半期、特に12月はメンタルが下降線を辿っていた中、そんな精神状態にあわせて家も汚く散らかっていた。誰が尋ねる訳でもない部屋だが、最低限度という概念は存在する。湯垢が付いているだとか埃が溜まっているだとかそんなものは関知しない、女々しい掃除はしないのだ。我が家の掃除のプロセスと言えば

①なんとなく散らかっている物をゴミ、使えるもの、洗ったら使えるものに分別する。

②ゴミはゴミ袋へ、使えるものは使えるところへ、洗ったら使えるものは洗う。

以上、埃とかは知らないがこの①と②をこなせば最低限度が保たれる。

 

雀荘でたっぷりヤニを吸ったコートとスーツ、最近手洗いに凝っている。クリーニング屋もといドライクリーニングの無力さを知り、水洗いの安全性に気付いたからだ、手洗いは良い。

湯船に湯を張り一昨年御殿場で買ったタケオのトレンチコートとオリヒカのスーツ達を湯に漬けていく。洗剤を混ぜて優しく揉むと、湯がさながら重油の様に黒く濁っていく。数時間置いた後すすぎ、優しく絞りハンガーへかける。ハンガーへかけると水分が下に移動するので何度か絞る。待っている間はポケモンに興じる。平和な年末である。

 

28日煉獄の最中、母親からいつ帰省するのか?というメールが送られていた。余程の事情がない限り自分から実家へ帰ると言い出す事はない、帰りたい気持ちはあるが追い出された人間である以上自分から言い出せる事ではないのだ。だからこんなメールを貰えるとありがたい、三食昼寝付きやったぜと思う。

31日の夜はダウンタウンを見たいと思っている、今年はフリースタイルダンジョンの口迫歌合戦もアツそうだ。

静かに実家で紅白を見る、追い出された人間である以上親が見ると決めたNHKを日テレに変更する権利などどこにも無い。野田、源、トキオ、XJAPAN、イエモン、ミーハー気味にエンタメを漫喫していた人間にとって今年の紅白は面白かったから良しとしよう。演歌歌手が出たらこちらにも手がある、ポケモンをやればいいのだ。

年始

朝起きてモンストをやる、初詣に行こうと母が言う。追い出された身でありながら三食と寝床を提供していただいている身として断るわけにはいかない。お年玉をくれ。

両親と一緒に近所の神社へ初詣に行く、母は一昨年頃に膝がなんか腐りかけ病みたいなのを発症していて心配していたが完治しているようだった。普通にそこらへんのババア位のスピードが出ていて安心する。整骨院が凄まじいとの事だった。突然だが最近腰痛が酷い、凄まじい整骨院鎌ヶ谷にあるとの事で、今度いってみるか。

神社の帰り道にあるファッションセンターしまむらに寄る。僕は今年で29になるが靴下を買ってもらう、持っていくのを忘れたのだ。ついでに会社用の靴下も買ってもらう。ミズノのワンポイントが入っており絶妙にダサい、ピンチの時以外履くことは無いだろう、どうせならぴょん吉柄のトレーナーを買ってほしかったのだが。

 

朝起きてシャドウバースをやる、姉の家に行こうと母が言う。追い出された身でありながら三食と寝床を提供していただいている身として断るわけにはいかない。行くならとお祝い袋を渡される、出産祝いらしい。ここで実家に帰ったことを強く後悔するがもう遅い、最初からこれが狙いか。

一万円だと言われしぶしぶ一万円を入れる、姉はと言えば家に食うものが無いから昼飯を持ってこいと宣っており、母も当然の様に要求を飲んでいる。おかしい、序列がおかしいのではないか?

おかしいし悔しいが既に姉 > 親 > 僕のメタゲームが成り立っているのは確かだ、孫が環境に及ぼす影響は絶大である。

姉の家は実家から自動車で30分程の場所にある。車中、言い値で入れた一万に疑問を抱いたのでネットで出産祝いの相場を調べる。5000円が相場らしいと主張するも財布には一万円札しかなく、しぶしぶ一万円を袋の中に戻す。

どうやら姉の家では我ら一族と姉の夫の一族が相見えるらしく、車中で昼飯をどうするか議論を重ねる。

昼飯用に持ってきた昨日のすき焼きで残った良い牛肉をどうするか?に焦点が当たる。父はもやしと炒めれば良いと言う。母はもやしなんてダサい、塩コショウで焼いてレタスでも敷いとけば洒落てて良いと言う。僕は肉吸いにして餅入れるのが良いと言う。

道中のスーパーでレタスを買う、母の意見が通ったのだ。難しいのは必ずしも権力者の意見が正しいとは限らない事だ。すき焼き用の薄切り肉を焼くのは破れやすいこともあり発想した時点で負けている。

 

権力者の母はいち早く孫に会いたいが為に一人姉の家に向かう、僕と父はスーパーでその他の買い物を続ける。

 

父がイチゴを買う、イチゴ大賛成である。

父が刺身の切れ端がパンパンに詰まったぶつ切りのお得刺身パックを買う、僕はやんわり止めるが追い出された身でありながら三食と寝床を提供していただいている身として強くは言えない。夫の一家が来るんだろ?船盛にしておけって。

父がザーサイを買う、僕はやんわり止めるが追い出された身でありながら三食と寝床を提供していただいている身として強くは言えない。というかこのオッサン気づいてはいたがザーサイ好きすぎてクソ笑える、のは良いとしても新年だし親戚も来るんだしそこはせめてお新香盛りだろう・・・

父が助六寿司を買う、助六寿司を1パック買う、僕は3か4買ったら?とやんわり伝える。結局1パック買う。7、8人そろうのに助六寿司を1パック買ってったらどうなるんだろう?オラわくわくすっぞ。

メタゲームへの理解が進む、姉 > 孫 > 母 > 父 > 僕に環境が細分化された。

姉の家へ着くなり我ら男衆の買い物に対しメタゲームの頂点が怒る、僕は止めたと言い訳するが止められなかった時点で同罪なのだ。なぜ言い訳しなければいけないのだ、というか姉の料理の腕も褒められたものじゃないだろう、肉と一緒に焼いた玉ねぎとピーマンがシャキシャキ過ぎる。などとは口が裂けても言えないが。

夫の一家も無事到着して優雅な昼食開始である、ただのビールを煽り買い足した舟盛りに握り寿司、シャキシャキの玉ねぎと良い牛肉を食う、爺さん達と婆さん達は孫に夢中である。老け顔の御仁達にひたすら弄り回されて孫も大変だと思う。甥とか姪よりピカチュウの方が可愛いくないか?

浦安に帰ると誰も居ない部屋が待っていた、一人の時間は悪くない。